当ブログへお越しいただきありがとうございます。
思い出したように更新している当ブログですが、静岡県の様々な遺構や文化遺産などの記事に思いのほかアクセスいただいており、とてもうれしく思っています。
簡単ですが自己紹介と、特に戦争の遺構へなぜ訪れるのかなどご案内いたします。
経歴
静岡市生れ(牛妻団地生れ)、静岡市葵区在住の40代です。
学生時代の妻と結婚し、3人の子供に恵まれ、両親と共に3世代で暮らしています。
趣味・嗜好
子供のころから(中学生のころ)社会の授業の地理と歴史の近代史以降のみがとても好きな子供でした。
新しい学年になると、地理の教科書と、日本史の近代史以降のみ先に読み込んでしまっていました。
歴史の教科書は突出した出来事と、偉人(逆もあり)の行いで埋め尽くされています。
でも、その裏には脈々と人々が暮らしを支え、楽しみ、哀しみ、生きてきた教科書に載らない人たちの膨大な足跡があります。
私は偉人より、歴史の中の所謂「市井の人たち」に興味を魅かれます。
そして、その痕跡を見つけたり、感じることでその時代の人たちに愛おしさを感じているようです。
自分で歩いて見つけたり、ネットで興味のあることを調べて訪問したりと、自分の能力以上ことは発見する機会すらありません。
もし、ご覧になっている方で「ここは面白いよ」という場所がありましたら、こっそり教えていただけたらうれしいです。
戦争遺構
まず、私自身は政治的な強いイデオロギーや、思想を持っているわけではありません。
保守的な思想と思われがちですが、生まれ育った家はどちらかというとリベラルな思想の家庭でした。
上の写真は私の叔父(父の兄)が昭和19年ごろに18歳で出兵した時のお祝いの写真です。
祖父は静岡市で鉄工所を生業としていましたが、長男ではなかったため、仕事を求めて東京の下町に移住したようです。
父の兄は長男、次男と東京から出兵し帰らぬ人となりました。
写真の兄は享年18歳で南方の島で戦死しました。
終戦を迎えてから今年(2020年)で75年。
たった、75年前。
18歳で戦死した叔父、そして、それを送り出した祖父や祖母、叔父や叔母たち。
戦争は禍々しい過去として一部封印されているように思います。
あの時代は、特定の人たちが行った過ちとして。
2人の叔父が生きられなかった戦後を私は生きています。
私の身近にある戦争の遺構を訪れ、思いを馳せ、素人なりにも記録していくことが、戦後を生きられなかった叔父たちの鎮魂になるのではと思う気もしています。