歩兵第34連隊練兵場跡と毒ガス訓練講堂

文化遺産

練兵所跡

2023年7月追記:
2023年6月中旬に毒ガス訓練講堂は解体されました。
姿消しゆく戦争遺跡、静岡空襲78年 ガス訓練講堂解体

静岡市葵区城東町の閑静な住宅街の中に、ひっそりと石標と案内板が建っています。

石碑には「陸軍省所轄地」と刻まれており、ここが第二次世界大戦まで陸軍の練兵所があったことを示しています。
静岡市には1986年に発足した歩兵第34連隊の兵舎が現在の駿府城の城内に置かれました。その兵士の訓練の場として現在の城東町の一帯を埋め立て活用したようです。

城東町と練兵場

石碑の上の案内板にはこう記されています。
「城東町と練兵場
この地は、もとは旧安東村と旧千代田村にかけて設けられた陸軍歩兵第34連隊の練兵場であった。
この石標は、明治30年(1897)に陸軍省用地の境界標識として先宮神社の北側に設置され、その後城東町の発足に伴い、この場所に移されたものである。
城東町は、昭和21年(1946)練兵場跡地に静岡市が戦災者および引揚者のために簡易住宅を建設したことに始まる。昭和25年城東町(通称)厚生会が設立され、昭和33年に大字北安東、緑町、水落三丁目の各一部を合わせて城東町が正式に発足した。
城東町厚生会は、平成6年(1994)城東町町内会と改称され、現在に至っている。」

毒ガス訓練講堂

また、石標から南に少し移動した場所には当時使用されていた「毒ガス訓練講堂」が現存しています。
現在は、一般の方の所有物で中に入ることはできません。
歩兵第34連隊は、日露戦争の時代から戦歴のある郷土の代表部隊であり、軍神と呼ばれた橘周太中佐(死後昇進)所属したことでも有名です。そのため歩兵第34連隊は別名「橘連隊」とも呼ばれていたそうです。
現在、御殿場市に駐屯する陸上自衛隊の第34普通科連隊(34という数字も受け継がれています)は「橘連隊」という名称を継承されています。
現在は、閑静な住宅街である城東町も、わずか70年前にはまったく違った風景であったことを感じ取れる場所といえます。

来迎院

当時の練兵場の南側に浄土宗「来迎院」という寺院があり、現在も寺院に横内幼稚園が併設され、元気な園児の声を聞くことができます。
境内の中には石標が建っており、「故陸軍歩兵上等兵渋谷良一之碑」と刻まれています。上部に「列忠」と刻まれていますので、この地の名を成した兵士の石標と思われますが、詳細は分かりません。

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