凱旋門と言えばパリにある凱旋門が有名ですが、浜松市の北部に位置する引佐町渋川にも凱旋紀念門が現存しています。
凱旋(紀念)門とは
主に日露戦争(日清戦争も含む)に勝利した記念に全国で多数設置されたようですが、現存するのは静岡県内では唯一、全国でも鹿児島県姶良市の凱旋門とこちらの2ヶ所のみのという中々珍しい文化財です。
渋川凱旋紀念門概要
現地の案内板には以下のように記されています。
- 名称
- 凱旋紀念門
- 員数
- 一基
- 所有者
- 渋川六所神社
- 所在地
- 浜松市引佐町渋川三七九五
- 年代
- 明治三九年(1906)三月建立
- 構造・形式および大きさ
- 煉瓦造り、幅3.2メートル 高さ3.6メートル
- 概要
- 日露戦争を記念して、六所神参道の途中に築かれた。
石造柱脚の上に、石柱を鋸歯飾としたレンガ造りの柱が立ち上がり、レンガ造りの欠円アーチを挟み込む。
煉瓦の積み方はフランス積みとする。
大型の石製偏額を挟み、上部に江戸切子仕上石材の重厚な笠石を載せる。県内における初期煉瓦造りの構造物。
渋川は全体で人口1,000人ほどの集落の集まりで、中世の時代から人々が暮らしている歴史ある地域です。私は隣接する磐田市民でしたが、渋川は都田川という清流が流れており、こちらの水遊びや野外活動(キャンプ)などを目的とした地という印象でした。
六所神社(六社神社)は全国に多数あり、社名は六柱の神を祭神とすることに由来し、その神社の参道に1,906年(日露戦争終戦の翌年)に建てられた煉瓦造りの門です。
明治維新の後、日清戦争~日露戦争とアジアの小国であった(少なくとも欧米からは清の属国のような扱い)日本が世界の表舞台に頭角を現していった時代であり、郷土から送り出した軍人(夫や息子)が勝利して、帰還した地域の喜びの大きさを感じます。
ただ、それから日本は暗い時代に突き進んでいき、その結果、戦後はとりわけ「戦争」や「軍隊」への忌避感が強くなり、こういった戦勝記念の施設は多くは時代と共に忘れられ、凱旋紀念門も国内に現存は2つのみという状況なのかなと思われます。
煉瓦造り
鹿児島県の山田の凱旋門は石造りのようですが、渋川の凱旋紀念門は石の土台の上に、煉瓦造りの柱やアーチを挟み込んでいます。
煉瓦積みはフランス式で、堅牢なイギリス積みに比べて華やかな積み方とのことです。
石柱の部分には、地元の出兵した軍人の氏名と、この門の建造に際して寄付を行った人の名前と金額が記されています。
六所神社
凱旋紀念門をくぐり、参道を上がっていくと六所神社へ続きます。
当日は雨模様の天気でしたので、神社までお邪魔したが、まだ上に建物があるようでした。
よくある地方の山間部にある集落の神社という印象ですが、手入れはされている様子で地域の人の関心の高さが伺えます。
アクセス
気にしていなければ、車で通り過ぎてしまうような文化財ですが、たった100年ちょっと前に建てられた戦勝記念の凱旋門。新東名高速道路の引佐インターからは10分ほどです。
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