冒頭の写真は昭和初期の北街道の様子を写したものであり、北街道にお店のある「名入れの川村」さんの店舗前に掲示してある写真を撮影させていただきました。
駿府城のお堀(水落)から巴川(上土)まで北東に繋がる北街道は、江戸期以前の中世では東海道の役割を担っており、とても重要な街道でした。
その北街道の道路の下には暗渠となった横内川が流れていることは、ある程度年配の方以外はご存じないかもしれません。
私もこの近辺で育ちましたが、子供のころはまったくそんなことは知らず、ある程度大人になってからなんとなく知っているという状態でした。
その横内川の跡を以下のようなルートで散歩しながら辿ってみました。
水落交番
「水落」のその名の通り、水落交番の裏手にから北街道に外堀の水が流れ出しています。
水門がありますので、お堀の水量によって調整されているのでしょう。
北街道を北東へ歩く
道路の真下を暗渠となった横内川が通っていますが、それを感じさせるものは何もありません。
写真左手が常葉学園です。
私が子供のころは、通りに面した左手(常葉学園近辺)にお菓子屋さんがあり、放課後お菓子を買っては鷹匠公園で友人と遊んでいたことを思い出します。
冒頭の写真を掲示されている名入れの川村さん。
写真にはこうキャプションが書かれています。
「水量豊かな駿府城の堀の水が一カ所に集まり、ここで水門を作り川になって、巴川へと流れる。
水落町の名もこれに由来するが、川の両側に道路があり、柳などがあって風情をつくっていた。
水門の下でおおきなウグイが泳いでいたり、巴川の鮎もここまで上がってきたり、水車もあったという。
私の家は当時、この川で染め上がって手ぬぐいを水洗いしていた。」
道路に見える「川島商店」は現在の川島珈琲さんのようです。
さらに歩みを進め、來迎院を左手に見てすぐに「しずおか信用金庫横内出張所」があります。
その前に小さな石碑と案内板が建っています。
2008年に太田町誕生100周年を記念して比較的最近建てられたものです。
横内川・北街道の変遷が鎌倉時代から現在まで綴られています。
巴町まで進み、「太田町郵便局」の前の「巴町地下道」に入ります。
地下道の中心が、更に一段下がっています。
このへこみの部分を暗渠となった横内川が通っています。
地下道の中は、湿気も多く、湧き水もでているようで常時水が流れる音が聞こえます。
川底はおよそ4~5mほどと想定できます。ここがもっとも横内川の現在の姿を感じられる場所でした。
地下道を上がってみると、変わらぬ北街道の風景です。
巴川まで歩く予定でしたが、真夏で気温が高く、無理をしないようにこれ以降は次回とすることにしました。
次回は、巴川と横内川が交わる場所まで行ってみたいと思います。
コメント
はじめまして。
東京を中心に暗渠を辿っております、高山と申します。twitterでこちらの記事を知り読ませて頂きました。
たまたま昨年の5月静岡を訪れた際、この交番の暗渠に出会いまして、見覚えのある風景につい反応してしまいました。(ひとつ前の記事の、二丁町の遊郭後も散策いたしました!)
この交番の名前に驚き喜んだあと、交番の西隣の戸隠そば裏を伝う暗渠から横内御門の橋までは辿ったのですが、まさか交番の北東に川(横内川)が流れていたとは…。
貴重な情報をありがとうございます。
「名入れの川村さん」お持ちの昭和初期の写真も素晴らしいですね。結構なものを拝見いたしました。
これを機に今後も、静岡のことを教えていただきにお邪魔いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
高山さん。コメントありがとうございます。
横内川は清水港へ続く巴川へつながっていますが、その交差する場所は「上土」という地名で、この横内川を堀った土を盛ったところから名前が付いたそうです。(また聞きですが。。。)
昭和の中期ごろまで、横内川の一部(清水側)は露出していたそうです。
サイト拝見いたしました。東京の各所(かなりマニアック)ご訪問されているようで、素晴らしいですね。
当ブログは暗渠を主題にしているわけではないので、あまりご期待に沿えないかもしれませんが、静岡市は生まれ育った故郷(在住)で、特に明治以降の郷土の歴史や風俗に興味があります。
雑記ブログですので、全然関係ない記事もたくさんあると思いますが、また、のぞいてみてください。静岡の面白いスポットがありましたら、こちらこそご教示ください。
今後ともよろしくお願いいたします。