「山田長政」と聞いて、静岡市にお住いの方は、聞いたことがある、知っているという方も多いかなと思います。
私も中学生のころに、浅間神社の参道にある銅像や、長政まつりを見学した記憶がありました。
なんとなく地元の偉人的な扱いの江戸時代の人という印象でしたが、タイのアユタヤ遺跡にある日本人町を見学したことで、その特異な足跡に興味を惹かれ、少し調べてみました。
約400年前に、おそらく野心を抱いて船で渡ったタイ(当時はシャム)で、山田長政がどのような足跡を残したのか、書き記したいと思います。
そもそもアユタヤとは?
タイの世界遺産に登録されている観光地で、日本からの観光客も多くご存じの方も多いと思います。
アユタヤはタイの首都バンコクから北に約80kmほどの場所にある遺跡で、1351年~1767年の間にアユタヤ王朝の中心地でした。18世紀中期まで存在していたので、それほど昔の王朝ではありません。
日本で言うと京都といった古都といえるかもしれません。
ただ、街自体はコンバウン王朝(現在のミャンマー)に徹底的に破壊されたため、その跡地を見学できるという状況です。
多くの仏像や建物は破壊されていますが、ごく少数のみ現存する仏像も見学することができます。
現在は、沿岸部に近いバンコクが首都ですが、アユタヤの時代は海賊が多く、沿岸部は外敵からの侵入の危険が高いため、内陸で水運(チャオプラヤ川)も活用できる土地にアユタヤに都市が築かれたようです。
アユタヤは上の地図のように、お堀の役目をする川に囲まれたエリアが中心で、およそ約2km四方の比較的小さなエリアに遺跡が点在しています。ちなみに日本人町はお堀の外の南側に位置しています。
※遠藤周作著の「王国への道」を読んでいます。もう少しまとまったら追記していきます。
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